主人公は堀辰雄自身ということになる。
堀辰雄の小説は「死の素描」を読んだことがあるけど文章が詩的かつユーモラスで私好み。
あ、「風立ちぬ」の主人公だよね?
飛行機の設計上手いってイメージしかないけど小説も書けたんだ?と思って読んでびっくりした。
飛行機と小説どっちが本業?ってくらい上手い。
「風立ちぬ」のメインストーリーは飛行機の設計で、サブストーリーは二郎と菜穂子の恋愛。
物語の基本はメインストーリーがあり、それとは別にサブとして恋愛が扱われる。
「もののけ姫」なんかそのお手本みたいな作品だったけど、
この作品の最大の魅力はなんといってもメインとサブの両方に「真実が埋め込まれている」こと。
二郎の飛行機への憧れも、菜穂子への純情も、確かに現実に存在するものだ。
「風立ちぬ」はフィクションではある。
けれどこの物語を構成する2つの核はノンフィクションで、ちゃんと現実世界に生きていた。
だからこそ揺るぎない名作になったといえる。(何様)
ジブリ映画「風立ちぬ」の初見は「もうアニメ映画なんて観る年齢じゃない」と思ってた頃だった。
「風立ちぬ」と聞いて、その「ぬ」は否定形ではなく完了形だなと思うような時期。
他校の男の子に誘われて観に行った。
「好きではないけど悪い人ではないからむげにし辛い」と思って行ったけど、とても後悔した記憶がある。
こんな名作だと知っていたら断ってたから。
見てて「どうして私はこの人の菜穂子になってあげられないんだろう」とつらくなった。
そんな初見から早●年。
以下、大人になってから観た感想。
物語全体を通して印象的なのは二郎と菜穂子の関係を象徴するような小物の使い方。
出会いの場面では二郎が帽子を飛ばしてしまい、菜穂子がキャッチ。
再会の場面では菜穂子がパラソルを飛ばしてしまい、二郎がキャッチする。
避暑地のホテルで菜穂子が帽子を飛ばした時、二郎は必死でキャッチする。
ところが最後のシーンでは、菜穂子のパラソルが風に飛ばされて消えてしまう。(キャッチできない)
出会いと再会では2人の通じ合う心を、避暑地ではなんとかこの関係を繋ぎ止めたいという二郎の気持ちを、
そして最後の場面では二度と菜穂子が帰ってこないことを表しているのかなと思った。
それでも二郎が選ぶ言葉は「ありがとう」。
夢に出てくる設計士の師匠に「ワインでも飲もう」と誘われて二郎がそれについていく、というところでこの物語は終わる。
初見の時は「突然何?」と理解できなかったけど、たとえ菜穂子を失っても飛行機を手放せなかった、という話だったのかなと思った。
「結核で死ぬことがわかっているから元気なふりできるうちに好きな人に会っておきたい」
という菜穂子の乙女心が初見の時には刺さった。
こんな痛いほどの気持ちで誰かを好きになれたらいいなと思った。
二郎ほど優秀な人は仕事を抜けるわけにいかず、
家庭(菜穂子)をある程度犠牲にしなければならないというのは切ないほど伝わってくる。
ただこの歳になるとそれを100%理解してる菜穂子がすごすぎると思った。
だって結核だよ?血吐いてるんだよ?
余命わずかだって自分が一番わかってるんだよ?
そんな時に夫が仕事に集中してたら「は?」と思う日くらいあるでしょ?
一日中キレてなくても一瞬「あいつ私のために時間作ろうとか考えないのかな?」ってならない?
なるよね。
だって自分ひとり血吐きながら布団の上で横たわってるだけだよ?
わざわざ病院抜け出して東京まで来た意味なに?
もし私が菜穂子と友達で「旦那さん仕事できるから忙しくて大変だよね。愚痴聞くよ」って言ったら簡単にこれくらい引き出せると思う。
男性目線で描かれてるので菜穂子はかなり美化されているのかもしれない。
でも物語中でのリアリティが担保されてればOKで、
結核って感染するのにあれだけ接触を気にしない日常生活を送れているなら、
菜穂子は本当に二郎が好きで愛ゆえに特別理解のある人なのかもしれないと思えた。
…なんだかメインよりサブの方に注目して鑑賞してしまった気がする。
メインの飛行機設計の話が私には難しすぎたのかもしれない。
この時代にドイツ留学できるなんて相当なエリートだなとかはわかった。
でもまだ1年目の社員でしょ?
期待するのはいいけどあんまり期待しすぎて仕事量増やすと転職されない?大丈夫?
とか余計なことを考える大人になってしまった。
仕事に関する二郎のセリフで印象的なのは2つある。
1つ目は機体の軽量化に関して言う「機関銃を乗せなければ問題ない」。
戦闘機を作っているんだから機関銃を乗せないわけがない。
同僚たちは冗談だと思って大笑いするけど、二郎は本心から「戦闘を目的としない飛行機を作りたい」と思っていたんだろうなと思った。
初見の時は私もジョークだと思って笑ってたけど。
今回見て気付いたけど二郎はこのセリフで笑ってなかった。
2つ目は最後のシーンでの「一機も帰ってこなかった」。
二郎が考え抜いてきた飛行機は戦争の道具として使われ、全て戦火に飲み込まれてしまう。
努力の成果はすべて無になった。
このセリフから「二郎は人を殺すための戦闘機を作り続けてきた」現実がせまってくる。
あんなにも崇高に思えた二郎の仕事は、人を殺すためのものだった。
これはちょっと衝撃的。
わかってたはずなのに、というか、わかったつもりでいた。
この仕事のために二郎は菜穂子と過ごす時間まで犠牲にしてる。
誰かの役に立つ仕事じゃなくて、誰かを殺す仕事で。
本当にそうすることが正解だったのか?と私なら絶対悩んでしまうけど二郎は迷ってない。
それくらい飛行機が好きなのだと思う。
菜穂子のいなくなった世界は戦争の終わった世界でもあり、
その続きをひとり生きていく二郎は、今度こそ戦闘を目的としない飛行機を作れるのだろう。
絶望と希望が表裏一体となる秀逸なラストだった。