小学生の頃大好きだった。
文学小説を書くようになってもファンタジーへの恋を忘れられないのはたぶんハガレンのせい。
ということで感想。
ラスト役、沙央くらまさん!
雪組の「ひかりふる路」大好きででも生で見られなかったからお目にかかれて本当に嬉しかった。
ありがとうございますありがとうございますありがとうございます。
……くらまさんへの愛が先行してしまった。
ハガレンは原作が大好きすぎて舞台見るのが怖かった。
けど見てよかった!!
皆様演技が上手い!!
欲を言うなら歌をもっと聞きたかったけど。
感想の前に内容。
主人公は片腕片脚を失った兄エドワードと肉体を失った弟アルフォンスのエルリック兄弟。
二人は錬金術師で、禁忌を犯した罰として肉体の一部、 もしくは全部を「真理」に奪われてしまった。
「鋼の錬金術師」で描かれる錬金術は古代に実在した「錬金術」 とは別物で、いわば魔法に近い。
「ハウルの動く城」等で扱われる普通の魔法と決定的に違うのは、同じ質・同じ量でなければ錬成できないという制約があることだ。 (質量保存の原則)
たとえば、 枝から木製の杖を錬成することは可能だけど鉄製の机をつくることはできない。
この法則を超越できるアイテムとして「賢者の石」が存在する。
さて、そもそもエドとアルが犯した禁忌についてだが、これは「死んだ人間をよみがえらせること」だった。
幼くして父は家を出ていき、 母を頼って生きてきたエルリック兄弟。
ところが二人がまだ小学生くらいの年齢であった頃、 母が急死してしまう。
この時すでに錬金術が使えたエドとアルは母を錬成しようと画策する。
人体を構築する材料(水、アンモニアなど)を買い集めれば、等価交換の原則に従って人間を一人錬成できると考えたのだった。
ところが人体錬成は錬金術の禁忌であり、錬成中にエドは脚を、アルは肉体の全てを「真理」に「持って行かれて」しまう。(錬成は失敗し、母は人間の姿をしていない)
「真理」からアルを取り戻すため、エドは質量保存の原則に従い、自らの片腕を犠牲にアルの魂を錬成したのだった。
家にあった鎧にアルの魂を定着させたため、 アルは鎧の姿をしているが肉体を持たない。
人体錬成を提案したことに責任を感じるエドは鋼の義手・ 義足を得て、アルと共に身体を取り戻すための旅に出るのだった。
人間を構成する材料を集めて人体を錬成しようと試みても「人間」 にはならないということ、また後にアルが苦悩するように「肉体を持たない魂は人間といえるか」等、 哲学的な思考が巧みに組み込まれている。
旅に出るにあたってエドは国家錬金術師の資格を取得し軍人となる 。
元の身体に戻るための情報収集にはこれが最も効率的なのだった。
物語の舞台は西洋風の軍国主義国家(アメストリス)だ。
アメストリス国内には少数民族イシュヴァール人がいて、軍部は数年前のイシュヴァール殲滅戦にて国家錬金術師を投入、大量殺戮をおこなった。
エドが国家錬金術師になったのは戦後だが、それでも「人間兵器」 として差別的な扱いを受けることがある。
少年漫画にしてはあまりにもハードな設定で好き。
これ私小学生の頃から「面白い」と思って読んでるんだけど、 なんか全然小学生向けではなくない?
これ大好きな小学生ちょっと気色悪いな。
舞台化されたのは
① エドとアルが旅に出るまで
② エドが軍部に所属、研究のためタッカーとの関りを持つ
③ エドが生き残りのイシュヴァール人(スカー)に命を狙われる
④ 兄弟の幼馴染ウィンリィの登場、アルの苦悩
⑥ 兄弟とウィンリィの束の間の別れ。悲しい感じではなく元気に。
以下、注目した点。
②エドが軍部に所属、研究のためタッカーとの関りを持つ
エドとアルは生体錬成に詳しい国家錬金術師ショウ・ タッカーのもとを訪れる。
タッカーの娘ニーナ、飼い犬のアレキサンダーと共に、 兄弟は穏やかな日々を送る。
タッカーは2年前に人語を喋る合成獣を錬成して資格を獲得した。
ところがこれは自分の妻を獣と組み合わせて錬成した結果であった 。
そして次にタッカーはニーナとアレキサンダーを合成した獣を錬成してしまう。
母を錬成しようとした兄弟と娘を合成獣に錬成したタッカーは本質 的に同じだとタッカーは主張する。
エドは「違う」と感情的になってタッカーを殴るが、この問いかけは本当にすごい。
タッカーはあまりにも残忍だが、「 生活していく金がほしかったし研究者として可能性があるなら試し たかったから」と「お母さんを取り戻したかったから」 の動機に違いがあるだけで、 兄弟の過ちもまた同質の残忍さを持っているではないか、ということだ。
小学生の頃は「全然違うよ!」と思ったけど今はそう言い切れない。
恣意的に人の命を弄んでしまったという点でエルリック兄弟とタッカーは同じだから。
うなって考えてしまう。
③エドが生き残りのイシュヴァール人(スカー)に命を狙われる
同胞殺しの国家錬金術師を恨むスカーは手当たり次第に国家錬金術師を殺している。
そのスカーにエドも狙われるのだった。
エドは戦争に行っていない。
それでも「信教が違うから」 という理由でアメストリス人に受け入れてもらえず、 大量殺戮の対象となってしまったイシュヴァール人の恨みは深かっ た。
原作では「ゆるす」ではなく「たえる」 を使っていたのが印象的だった。
「ゆるさなければならない」のではなく「 たえなければならないい」。
④兄弟の幼馴染ウィンリィの登場、アルの苦悩エドとアルを心配する保護者がいる。
幼馴染のウィンリィだ。
アルが「魂しかないこれは本当にアルフォンスなのか」 と思い悩み、その不安をエドにぶつけてしまう。
自分が持つ記憶も意思も全てエドが錬成したものではないかとアルは疑ってしまうのだ。
自分とはなにか、自分を自分たらしめているものはなにか、 自分が自分である証拠はなにか、という問いかけが私にも刺さる。
もし私が肉体を持っていなかったとしたら、この魂が私のものであるということはどうやって証明すればいいだ ろう。
アルが悩むのももっともだ。
それに対するウィンリィの答えはこうだ。
「どこの世界に自分の腕と引き換えに偽物の弟をつくる兄がいるっていうのよ」。
アルは自らの存在の証明を、エドとの間に結ばれた強固な兄弟愛に見出すことができるようになった。
ウィンリィの希望で鋼の義手の聖地ラッシュバレーに行く。
3人はそこで妊婦に出会い、命の誕生を支えることになる。
エドの「錬金術師が何千年かけても成功しなかった『 人間が人間をつくる』ことを、 女の人はたった280日で成し遂げるんだ」 というようなセリフが印象的だった。
原作者の荒川弘さんは「鋼の錬金術師」執筆中に妊娠・ 出産を経験されたと聞く。
人間の誕生や存在に対する洞察の鋭さ、表現の繊細さは、この時期だからこそ描けたものなのかなと思った。
この緻密に練られたファンタジー、本当にすごい。大好き。
原作も好きなんだけど、旧アニメ版のオリジナル設定も(賛否両論だけど)私は好き。
人体錬成で人間によって生み出された人造人間がエドとアルに逆襲する。
その中にはもちろんお母さんの姿をしたものもいて…という話。
お母さんの姿をした人造人間を倒す回結構感動したんだけどあんまりそういう声聞かないな。
やっぱオリジナル展開は原作より残酷だったから(特にエドが救ったと思ってた町が実は内戦状態に陥ってて軍人に暴行されたロゼが子供産んでたりとか)、 視聴者にトラウマ植え付けた?
戦争の悲惨さを真摯に描くという意味では高く評価されていいと思うんだけどな。
総括。ハガレンは舞台でもすばらしい作品でした。
それぞれ異なるキャリアの役者さんで作る舞台は劇団で作る舞台と はまったく違ってまた良かった。
歌って踊って芝居しての舞台に見慣れていたので誰も踊らないのが新鮮だった。
踊らない代わりにアクションが充実。
ちょっと宝塚とかでは見られないので面白かった。
舞台なので役者に注目しよう。
まずマスタング大佐が本物じゃん…と思ったし、ハボックもイメージ通りだった。
イメージ通りだった人はもうたくさんいて挙げたらキリない。
エドやアルはイメージ通りというわけではないんだけど演技が上手いので受け入れられる。
難しい役だろうにすごいなと思ってた。
殺陣が特によくて、男性が多い舞台は喧嘩が映えるな〜と思ってたけどホークアイ中尉まで体術上手すぎて、あ、男女関係ないわすみません、てなった。
個人的MVPはマルコー。
もう原作漫画から出てきた感じだった。
実力派揃いの舞台で1番演技惹きつけられた。
実力はもちろんあるけど私の個人的な好みでもあると思う。
なんか印象的。
しかも歌まで上手い。
この歌い方すごい好き。オペラ歌手?
幕間入った瞬間名前調べた。
そして衝撃的なことに気付いた。
まって、レミゼのジャベールじゃない!?
絶対そうなんだけど!
私が小学生の頃に一目惚れしたジャベール警部じゃん!?
観劇オタク、小学生の頃の推しに運命の再会。
阿部裕さん。泣ける。
好きな作家は泉鏡花らしい。
私は「外科室」が好きです。
あとスライサー兄弟。
鎧の頭と身体で本当に別れているみたいだった。
「スライサーの兄の方」とか書きそうになった。
両方同じ人ですよね?
話し方がすごく印象的で好み。
刀剣を使った殺陣を鎧の衣装着ながらここまでできる!?って思った。(スーツアクション)
この場面はエドも上手くて、特に天で交差した剣を脚を高くあげて蹴り飛ばすところがすごかった。
殺陣得意な人を集めた舞台なんだなと思った。
泣ける場面が多かったんだけど、ウィンリィがアルに怒る場面が1番劇場にすすり泣き響いてた。
原作ファンが多いだろうから脚本は多少端折っても話は通じる。
だから他の名場面にはそういう端折りを感じてしまうんだけど、この場面は演出もすごく上手かった。
アルの苦悩やウィンリィの怒りには切実さがあり、演技力の高さも相まって初見の人の心にも訴えかける強さがあったと思う。
私もこの場面が1番感動的だと思った。
原作が本当に神のような作品なので舞台を見る目が厳しくなってしまう…という自覚はあったので尚更見るのが怖かった。
けどよかった。
オペラグラス持っていくの忘れたのだけが悔やまれる……。
ハガレン、永久に愛される作品であってほしい。
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