「ファンタジー小説を書きたい」と先生に言ったら「ジブリか村上春樹路線で」と言われた。
それでジブリ作品を見直して感想を書いているわけだけど、とくに私の理想とするファンタジーの世界観に最も近いジブリ作品が「ハウルの動く城」。
原作はダイアナ・ウィン・ジョーンズの小説「魔法使いハウルと火の悪魔」。
久しぶりに見るので原作も読んでみようと思い読み始めて気付いた。
これ小学生の頃に読んだことある。
当時はカイ・マイヤー「鏡の中の迷宮」シリーズが大好きだった。
やっぱり私の好みはこのあたりなんだなぁと懐かしくなる。
(ちなみに村上春樹は「世界の終わりとハードボイルドワンダーランド」が一番好き。ユニコーンの描写がとても魅力的なため)
ジブリ版のハウルも好きだけどキャラ立ちという意味では原作の方が強烈だし好みかも。
ハウルは「灰色と真紅の服」を着て女の子たちを次々に虜にするんだけど、ジブリではこれを配色そのままにアーガイル柄に仕立ててるのがお洒落で可愛い!
ミュージカルの舞台に冴えない衣装着てる人なんか1人もいないし(冴えないように見せる素敵な衣装を着てる人はいる)、やっぱり登場人物の衣装はひとつ残らず素敵であってほしい。
ここは自分でもこだわって造形したいと思った。
私の頭の中にはこんな感じだろうというデザインがある。
でも想像のままにしておくのが一番綺麗なんだろうな。
ソフィーがこの契約を解くことができれば、カルシファーがソフィーの呪いを解いてくれるらしい。
ソフィーは契約を解けるのか、もとの姿に戻れるのか。
この謎が物語の中心にある。
ただ契約の内容もハウルがカルシファーと契約した理由も明かされないので釈然としない。(私が見落としてる?)
ハウルがカルシファーに心臓を渡す代わりに…カルシファーがハウルに魔法を与えたのかな?
だからサリマンが認めるようにハウルの魔力は強いのだと思う。
サリマンは「強力であるが故にハウルも荒地の魔女のような魔法使いになってしまうかもしれない」と懸念してるわけだけど。
ということは荒地の魔女も悪魔と契約したことがあるのかな。(原作ではそう)
しかしそんな描写は出てこないので消化不良感。
物語の終盤、カルシファーが抱える心臓をソフィーがハウルに返したことで契約は解除される。
それはわかるとして、なぜハウルはカルシファーと契約しなければならなかったんだろう?
「強力な魔力が欲しかったから」では理由として弱い気がした。
カルシファーが契約をした理由は、原作によると「生き延びたかったから」らしい。(流れ星は地上に落ちると死んでしまう。カルシファーはハウルにキャッチしてもらえた)
そして結局ソフィーの呪いはカルシファーではなくソフィー自身が解いてしまう。
素敵だとは思うけど、カルシファーが解く約束だったんだから、この物語の中核ともなるその約束を反故にするならもうちょっと納得させてほしかった。
次にソフィーの呪いについて。
カルシファーはソフィーにかかった呪いを「二重の呪い」と表現しているんだけど、荒地の魔女の呪いと自分の呪いを二重にかけているという意味なのだなと思った。
荒地の魔女による「老女になる呪い」が解けても、ソフィーは自分で自分に「老女になる呪い」をかけていて解けない。
ハウルが言った「美しくなければ生きている意味がない」にソフィーが泣き出す場面は子供の頃に見た時も印象的だった。
10代の頃って自分ほど醜い人間はいないんじゃないかって思う日があるよね。
ちょっと好きかもしれない人から「美しくなければ生きている意味がない」なんて言葉聞いたらそれは雨の中駆け出して泣き出したくもなるよ。
荒地の魔女がソフィーにかけた「老女になる魔法」の解き方は恋をすることなんだろうな。
その荒地の魔女が中盤から味方になるのも面白い。(ここは好み分かれそうだけど)
このあたりからソフィーの顔が明らかに若返ってる。
ハウルへの想いが強くなっているって表現なのかな。
引越しをすると言い出すあたりから明らかにハウルの気持ちがソフィーに傾いてるんだけど、ハウルはいつからソフィーをそんなふうに見るようになったんだろう?
ハウルは命かけて魔法で鳥に変身して戦争に出ているわけで、「やっと守りたいものができたんだ。君だ」とかソフィーに言うわけだけど、え、いつから?
まって私がにぶい?いつから?
そこから荒地の魔女に「恋だね」と指摘されるソフィー。
BGMに流れる「人生のメリーゴーランド」 。
妹が音高通ってた頃よくピアノで弾いてくれた。
久石譲、ビッグラブ。
作る音楽全部神じゃん。
いや、けど、けどさぁ。
今まで完全に雰囲気で誤魔化されてたわ。
え、いつ?
ハウルはいつソフィーを好きになったわけ?
その後は割と説明不足で駆け足な気がする。
ミュージカルでもよくあるよね。
原作予習してないと絶対追えなくなるやつ。
駆り出された魔法使いたちはみんな怪物に姿を変えて戦ってたのね、って気付くの遅すぎ?
確かに初めてハウルが鳥の姿で登場した時にカルシファーがほのめかしてたけどヒントそれだけじゃない?
荒地の魔女が心臓を握ってしまい、カルシファーの火に「熱い」と苦しむのを見てソフィーはカルシファーに水をかけてしまう。
その時、ソフィーの指輪(ハウルからもらったもの)が城の扉へと光をさす。
ハウルしか知らない、黒のダイヤルにまわされた扉。
そこでソフィーはハウルの過去を見る。
流れ星を捕まえたハウルは何やら話をし、心臓を与えてしまう。
それがカルシファーになるのだった。
扉を出ると獣に変身したハウルがいる。
ソフィーはハウルに心臓を返す。
ちょっとまって理解が追いつかない。
一旦見るだけで見るか。
子供の頃は感動したはずなのに今見るとソフィーの「未来で待ってて!」と泣くシーン、なんで泣いてんの?って割と冷めた目で見てしまった。
もう10代の情緒についていけない…?
ところでカブの正体は隣の国の王子。
愛する者にキスされないと解けない魔法にかかっていた。
子供の頃はこの演出素敵だと思ったけど大人の今見ると「風呂敷広げすぎじゃない?」と思ってしまうな。
「隣国の王子です。戦争やめましょう」か。
うん、悪くはないと思うけど…。
なにこの釈然としない感じ。
サリマンは結局どういう立場だったんだろう。
「この馬鹿げた戦争をやめさせましょう」とか言ってたけど。
いやいやいや、ハウルを戦争に駆り出してたのあなたですよね?
ソフィーは魔法が解けても白髪のまま。
ハウルの言う「星色に染まっている」は素敵だと思うけどなんで黒髪に戻らなかったの?
それより意識回復した瞬間いきなり彼氏面で困惑したわ。
イケメンだからいいけど。
結構謎が残る。
ソフィーがハウルの心臓に水をかけてしまって「ハウルが死んじゃうかもしれない」と泣くとか、ハウルしか知らない黒ダイヤルの扉を開くとか、魅力的な場面展開はあるのにそれを活かしきれていないというか。
世界観がすばらしいのでそれだけで楽しめちゃうけど、大人になった今見ると結構消化不良だった。
そういえば初見の時もパパとママは「別によくなかった」って言ってて子供の私は「えー!?」ってなったんだけど、なんか今その気持ちわかるようになってしまった。
音楽も作画も素敵だしキャラクターも好きなんだけど、話そのものが整理しきれていなかった印象。
でも原作の方がとっちらかってるのでよくまとめた方かも。(何様)