EVERGREEN HIT SONGS IN SHOWA ERA 2023に行って

宝塚OGの歌が聴ける!!ということでチケットを予約した。

センターブロック7列目という良いお席をいただいてしまった。感謝。

唯一の男性出演者、石井一孝さんは英語の歌が特に上手かった。

ムーンリバー惹きつけられる。いい。

月並みな表現になるけど「甘い歌声」って存在するのね。

「甘い」の言い換えが見つからなかった。

歌声に味覚の表現を使うのってかなり独特な気がするけど。

この表現考えた人センスいい。

「甘い歌声」という感じでした。(それでいいのか?)

脚長ッ!トーク面白ッ!舞台慣れしてる〜!!って感じで素敵でした。

なんで舞台に立つ人ってみんな異次元にいるみたいに素敵なんですかね。

 

宙組の暁郷さんは登場した時男性かと思った。

89期生ということは望海さん、明日海さん、凪七さんと同期!?

いい世代🫶🫶🫶

独特の雰囲気に釘付けになってしまった。

ここまでクールな方って実はあんまりいないんじゃないかな。

絶対目合ったね。私センブロだったし?

最後幕降りる時も私ずっと暁さんに手振っちゃった。

 

メインは伝説のアンドレ安奈淳さん、そしてスペシャルゲストの榛名由梨さん!

安奈淳さんはもう70代とは信じられないような気品と歌唱力でもう舞台に立ち続けていただいてありがとうございますという気持ち。

あんなに目の覚めるような青い衣装似合う人いる?

美しかった〜〜〜

アンドレやった現役時代を観たい。

絶対かっこいいじゃん。

 

榛名由梨さんは「トークはほめられるけど歌ほめられへん‼️」と繰り返してたけどめちゃくちゃ上手かったです。

関西人らしいトークが面白すぎてインパクト強い。

ベルサイユ宮殿に行ったらファンの方に大理石のベンチに座ってオスカルのポーズを決めてほしいと頼まれてやったところ、大理石が冷たすぎて体調崩してその日仕事できなくなったとかお人柄の良さが滲み出るエピソード笑ってしまった。

「部屋で寝てた時にツアーコンダクターの田中さんが薬買ってきてくれて〜」と言ってて、安奈さんが言う通り記憶力すごい…と思った。

私がツアーコンダクターの田中さんだったら榛名さんに名前覚えてもらえてコンサートでそんな話してもらえたら泣いちゃう。

榛名さんの歌は脳に直接くる。

この感覚、望海さんの時にも感じたけどテクニックじゃないんですよね。

耳で聞いて「ああ、いいな」で終わるんじゃなくて、脳の表面を振動させてくるっていうか、痺れるような感覚に陥る。

ただ上手いだけじゃない人の歌い方。

感情表現?人生経験?

わからないけど、とにかく誰にでもできる歌い方じゃない。

これが初代オスカルか…って目を閉じて聞いた。

 

最後に石井さんも言ってたけどレジェンド同士のかけあいが面白すぎた。

榛名さんが「安奈さんは何百回もベルばら歌ってるのに未だに歌詞間違える」って暴露してて(そんなこと言っていいの!?)と思ったら安奈さんが「これから歌うんだからやめて」「そうなの!?」「暗示にかかってほんとに間違えるから」って言ってて、ほんとに間違えてたの面白かった。

榛名さん嬉しそうに「間違えてたな‼️でも『涙』を『炎』に間違えたくらいなら逮捕されへんから大丈夫‼️」って言ってて会場も爆笑。

 

宝塚の良さ詰まってたな〜

行ってよかった

昭和の歌わからないと思うけど宝塚だから、と思って行ったけどもはや全日程観たい。

できれば妹と。

GWは全部予定あるらしいので姉は小説とソロ観劇に全てを捧げます。

劇団四季「美女と野獣」を見て(2度目)

2度目の美女と野獣

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金本泰潤さんが同じダンス教室の出身と聞いたので金本さんが野獣役をやる回をどうしても見たかった。

念願叶ってチケットとれたのでさっそく鑑賞。

 

やっぱり同じ演目でもキャストが違うとまた違った魅力を感じられて面白い。

清水さんの野獣は初め怖くて近寄りがたい。

ベルと出会ったことで心を開いていく野獣を演じている。

確かにそれも「美女と野獣」を見る上での醍醐味。

対して金本さんの野獣は初めからベルに対して「魔法を解いてくれるのではないか」と期待している。(少なからず初めからベルを好意的に見ている)

そのぶん清水さんに比べて優しい野獣だった。

自分自身の複雑さに悩んでベルとの距離を上手に詰められないことに苦しむのが清水さんの野獣。(内に向く意識)

ベルのことが好きなんだけどそれを上手く表現できないことに苦しむのが金本さんの野獣。(外に向く意識)

そんな感じがした。

同じ作品でも見る人によってこんなに解釈違うんだな〜と興味深かった!

両方解釈できるけどどちらの色合いを濃くするかで演技が変わる。

他の人が演じたらまた別の「野獣」になるんだろうな。

他の役の方々も主役に合わせて変わるのか、清水さんの舞台には緊張感があったのに対して金本さんの舞台にはユーモアがあった。

どちらも劇団四季の「美女と野獣」なのに違いがあって面白い。

そして両方とも良い。

前回見たのと比べて他に顕著に違いを感じたのはルミエール。

岩崎さんと比べると大木さんはフレッシュ。

なのにどちらかというと大木さんの方が大人しいというか紳士的な感じ。

これも役の解釈の違いが出ているんだろうなと思った。

岩崎さんの貫禄ある元気なルミエールも好き。

 

何度見ても思うけどペアのダンスとか情熱的な表現、照れずにできるのすごいな。

見てると自分も踊りたくなる。

家帰ったら頑張ろ〜!

 

本日の出演者

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劇団四季「ヴェニスの商人」を見て

劇団四季ヴェニスの商人」(2004年)。

劇団四季の作品にしては珍しくDVDが発売されている。
シャイロックは悪役ではないという新解釈版。

浅利慶太演出。

このDVDの何がすごいってキャストの足音まで収録されていることですね。(着眼点)

あとマイク見当たらないんだけどこれ地声でやってる舞台?

いやさすがにそれはない?どういう技術?


原作はシェイクスピアヴェニスの商人」。
シェイクスピアってなんかあんまり好きじゃないから全然読んでない。
ロミオとジュリエット」なら宝塚で履修済だけど「 ヴェニスの商人」に関しては全然知ら……え……知ってる…… なんで?いつの間に?
こういうことが起こるので巨匠はすごい。


ヴェネツィアには一度行ったことがある。
とにかく路地が入り組んでいるので迷ったらとりあえずサン・ マルコ広場を目指すことになる。
サン・マルコ広場には翼のはえたライオンの石像があるんだけど、もうこれ物語の中みたい。
獅子は聖マルコのアトリビュートなんですよね。
西洋絵画に描かれる聖マルコのそばにはさりげなく獅子が描かれる。
その獅子がそばにいる聖人のことを「これ、聖マルコだよ」 と鑑賞者に教える役割を担うのだ。
翼の生えたライオンの背に乗って少女が冒険するファンタジー小説 (カイ・マイヤー「鏡の中の迷宮」) が小学生の頃大好きだったんだけど、 あれは聖マルコのアトリビュートから着想したんだなと大人になってから気付いた。
そのヴェネツィア
ヴェニスの商人」はヴェネツィアの古い時代の話だ。
いいなぁ。

 

あらすじに入ろう。

アントーニオは親友バサーニオの恋を応援するためにシャイロックに借金をする。

アントーニオはシャイロックが嫌いだが親友のために仕方がなかった。

シャイロックはアントーニオにお金を貸す代わりに期日までに返さなければ肉1ポンドを切り取らせてもらうと言う。

アントーニオは親友バザーニオのためにそれを承諾した。

バザーニオは愛するポーシャのいるベルモントに赴き見事プロポーズに成功。

プロポーズを受けるポーシャは3つの箱を用意していたが、バサーニオは見事この謎を解くことができた。

ところがアントーニオの船が難破。

アントーニオは全財産を失う。

バザーニオの妻になるポーシャは婚約者の友人を助けるためにヴェニスに赴く。

バサーニオもヴェニスに向かうがポーシャはベルモントにいると思っている。

ヴェニスではシャイロックがアントーニオに「金を返せないなら肉を切り取らせろ」と迫っている。

バサーニオはかばおうとするがどうにもならない。

そこに裁判官として現れたのはなんと男装のポーシャ。

しかし誰もそれがポーシャとは気付かない。

ポーシャは法律に従いアントーニオの肉を切り取るといいとシャイロックに命ずる。

シャイロックがアントーニオの心臓の周りを1ポンド切り取ろうとした時(アントーニオは衣装をはだけさせて胸を晒す。この日のために鍛えたであろう肉体美。いや、見るためのもの、見るためのものなんだけど、いや見るけど、えっ、いいんですか?みたいな気持ちになる。キモいな。代わりに私のこと刺してもらえる?)、ポーシャは言う。

「血を一滴も垂らしてはならない。契約書に書かれているのは『肉』だけだからな。さあどうした?肉を切り取ってみよ」

みたいな台詞。

えっ……一休さん!?

シェイクスピアさん!それ!日本では一休さんです!!!

どこの国にもこういう話はあるんだな〜!と思った。

そして言われてみればこの展開知ってる。

そういうわけでアントーニオは心臓をくりぬかれなくてすむ。

バサーニオはポーシャと結婚し、アントーニオはそのポーシャによって助けられ、ハッピーエンド。

 

この作品の主軸になるのはアントーニオとバサーニオの熱い友情だと思う。

なんだか太宰治走れメロス」みたい。

やっぱり太宰治シェイクスピアの影響受けたのかな。

でもシェイクスピアより太宰治の方が上手いと思う。

走れメロス」の方がハッピーエンド感さらに高いしね。

でもシェイクスピア、教養として全作読んでおきたいかもしれない。

良い作品だった。

ルーブル美術館展に行って

妹からルーブル美術館展に行こうと誘われたので有給をとった。
美術館は平日に行くに限る。
できるだけすいている時にじっくり見たいから。(でもやっぱり混んでた)


予習として芸術新潮2023年3月号を読んだ。

特集ページは案外あっさり読めてしまう。
西洋絵画はキリスト教とのつながりが密接なのでミッションスクールに通ってよかった。
ギリシア神話・聖書などと強い結びつきのあるこの「西洋絵画」 のジャンルも私好み。
演劇も音楽も文学も神話も宗教も絵画も全部つながってるよね。
文化史っておもしろい。小説で表現できたらいいな。


予習としてもう1冊「マンガで教養 はじめての西洋絵画」も読んだ。

図書館で誰かが借りてたやつがたまたま返却台にあって手に取った。

大学生の頃に西洋美術の授業をとってたから懐かしかった!

美術史の歩みって文学史と似てるよね。

 

当日朝は早く起きてなんか二度寝できなかったから1時間ジャズ踊ってシャワー浴びてから六本木に向かった。

待ち合わせはマーサーブランチ。

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そしていよいよルーブル美術館展。

以前書いた小説の下調べでギリシア神話関係の本を何冊か読んでいたので「こんなに多くの絵画の主題になってたんだ!?」と面白く鑑賞できた。

ギリシア神話とか聖書を知らなくても解説を読めば音声ガイドを聞けばわかるものなのかな?

男子大学生(?)が「どの絵にも『愛』なくね?」って言いながら通り過ぎて行って、妹が「ああいう寒い奴が彼氏じゃなくてよかったわ」ってちょっとキレてたけど私は「ちょっと君、『愛』をどう定義して『この絵に愛はない』と判断したの?」と詳しく聞きたくなってしまったよね。

現代の男子大学生(?)が定義する「愛」って何?

めちゃくちゃ気になってしまった。

 

妹は「これが愛です!って絵より、そういう主張の強くない絵から愛を感じ取れるのが良い」とのことで、磔刑に処されたイエスが十字架から下されてる絵を1番気に入っていた。

確かに惹き込まれる。

解説ではイエスから人類への愛と書かれていたけれど、妹が言ってた「愛する人の死を悲しむ生きている人たちの愛が凄まじい」という評にも納得感あった。

十字架から降りてくるイエスの遺体を取り囲む人たちは死んだ人みたいな顔色をしてるんだよね。なるほど。

 

私はお見合いの絵画が1番好き。

解説には「男性は女性を見つめてるけど女性は恥ずかしがって下を向いている」みたいなことだけ書いてあったんだけど、この身なりの良い男性とお見合い中の女性を凄い顔して睨みつけてる召使いの女性(?)がいるんだよね。

その表情に気付いてびっくりしてる男性も背後に描かれててそれが1番面白かった。

妹が「良い縁談を妬んでいるのかすごい顔して睨んでるよね?それに気付いた背後の男性の『女の嫉妬怖ッ‼️』みたいな表情、物語性がすごい」って言うから2人でしばらく笑ってたんだけど周りは笑ってる人いなくて、気付いてるの私たちだけなのかなって思ったらなんか余計に面白かった。

あと女性の髪の質感とかベルベットの椅子の感じがすごくリアルだった。

 

どの絵画も目の輝きとか影の感じとか、本で見るよりずっと立体的だった。

絵って平面だと思ってた。

全然違ってびっくり。

 

そしてこれが撮影OKスペースのやつ。

天使はアモル(キューピッド)。

妹が「絶対アモーレ(愛)の語源ってアモルだよね」って言ってて、語源を気にする血って遺伝するのかな…と思った。

ギリシア神話、語源の宝庫だからその意味でも面白い。

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(混んでて斜めからしか撮れない…)

 

妹「絵画も音楽もそうだけど、芸術の世界のカリスマや天才は最初めちゃくちゃに批判されるじゃん。でも後に『あの人はすごかった』って言われるものだから文学も同じなんじゃない。無難に上手い作品を書くより新しい作品で突き抜けろ」
はい。

「千と千尋の神隠し」を見て

言わずと知れたファンタジーの傑作。

正座して鑑賞しなければならない。

初見の時、私は数ヶ月後に転校を控えた小学生だった。

千尋が前の小学校で送別会的なのをやってもらったらしくメッセージカードと花束をもらって新居に向かう途中、というところから物語が始まるので、これは私の物語だと思って観た思い出がある。

私も千尋と同じようにメッセージカードとかお花もらって同じクラスの女の子たちにめっちゃ泣かれたから「なんか私死ぬみたいだな」って思ってた。

それだけに神様の世界に行く千尋に深く自己投影できたんだと思う。

ちなみに私、環境への適応力だけは自信ある。

転校した先では同級生にも上級生にもちやほやしてもらい進級するまで「転校生」をエンジョイさせてもらった。今更ながら感謝。

お父さんとお母さんが食べる中華っぽい料理は今見ると美味しそうだし店員さんいなくても「あとでお金払えばいっか!」で食べちゃう気持ちもちょっとわかってしまう。

けど子供の頃は「絶対ありえない!私は一口も食べないからね!絶対!犯罪だよ!!!!」と思ってたから私はもう千尋ではないんだな…と寂しくなった。

新居に向かう途中、千尋が迷いこんでしまったのは異形の世界。

神様が訪れるお湯屋で働くことになる千尋は異形の者たちから「人間だから」と邪険に扱われるが同年代らしき少年ハクだけは味方してくれる。

初めは釜じいにもリンにも歓迎されなかった千尋だが、湯婆婆に見事契約を取り付けた千尋は少しずつ認められ始める。

なんでも都合よく展開しがちな物語が世にあふれている中、本作は主人公に対しての試練が多い。

この甘やかしのなさが物語を面白くしてるなと思う。

急に冷たくなったと思ったハクが優しい人に戻っておにぎりくれるシーンいつ見ても泣けてしまう。

(他の従業員向きに千尋に優しくするわけにいかなかったのかな、みたいな事情は小学生の頃にも考慮できた)

久石譲の楽曲よすぎるのもあって試練続きで不安だった千尋に感情移入しやすい。

よかったハクが良い人で。安心する。

 

湯屋で働き始めた千尋は雨の日にカオナシを招き入れてしまう。

その日、千尋は初仕事として「くされ神」を湯に案内する。

ところが「くされ神」だと思ったこのお客さん、実は人間によって汚された川の神様だった。

千尋は川の神様からお礼に苦団子をもらう。

魔女の宅急便」にもいたけど、女の子の主人公を助けてくれる年上の女の子っていいよね。

本作でそれを担うのがリン。

「頼りになるちょっと年上のお姉さんが近くにいてほしい」10代女子の気持ちをなぜ宮崎駿監督が理解できるのか謎。

 

カオナシがお湯屋を乗っ取り出す。

千尋式神に追われる龍(正体はハク)を見つけて助ける。

しかしハクは湯婆婆のもとへ。

ハクが殺されてしまう!と思った千尋は湯婆婆のもとへ急ぐ。

千尋の背中には式神が一枚貼り付く。

湯婆婆のもとに行く途中、千尋カオナシに遭遇、千尋に金の受け取りを拒否されたカオナシは従業員を2人飲み込んでしまう。

このあたりは展開が怒涛。入り組む。

突然龍の姿で登場したハク。

金を出すことで従業員にありがたがられていたカオナシは突然従業員を飲み込んで「ありがたいお客さん」から「恐怖の対象」に変わる。

湯婆婆は「ハクはもう使い物にならない」と処分しようとする。

(坊の部屋、好き。電気が消えると天井が夜モードになるのがいい。)

おまけに式神からは湯婆婆の双子の姉(銭婆)が登場し、坊をネズミに、カラスをハエに変えてしまう。

ハクが式神を破る。

その拍子に穴に落ちてしまう。

ここから坊とカラスは千尋とともに行動するように。

ここまで怒涛だけど視聴者を置き去りにしない。

すごいな。

 

「敵だった登場人物が味方になる展開」はエンタメの王道だけど、「千と千尋の神隠し」はこれが特に多い。

カオナシ、銭婆、坊(とカラス)がそれ。

カオナシは味方→敵→味方。

銭婆は敵(ハクを襲う式神)→味方

坊とカラスは敵→味方。

 

ハクに乗って飛びながら千尋は水中の幻想を見る。(この伏線は何度か小出しにする。上手い)

釜じいのもとに落ちた千尋は川の神様からもらった苦団子を半分にしてハクに飲み込ませる。

ハクは少年の姿に戻った。

千尋はハクが盗んだという印鑑を銭婆に返すことになる。

 

ところがカオナシが暴れていると知って千尋は旅に出る前にカオナシの対処へ向かう。

カオナシは味方になったと思ったら敵になりまた味方に戻る。

複雑に変わる関係性が面白い。

千尋カオナシを伴って銭婆のもとへ向かう。

ここからの展開、子供の頃から大好きなんだけど大人になっても大好きだった。

電車に乗っているのはみんな半透明の人型シルエット。

普通の電車ではない表現にわくわくする。

宮沢賢治銀河鉄道の夜」みたいなね。

でもすごく現実の電車らしい雰囲気。

現実と幻想性が重なったようなこの感じ大好きで自分でもよく描くんだけどジブリの影響だったのかな。

幼い頃から何度もみてるから無意識に刷り込まれてたのかも。

 

一方お湯屋ではハクが目覚める。

ハクは「坊が銭婆のもとへ向かった」と湯婆婆に告げ、「連れ戻す代わりに千尋の両親を助けてほしい」と言う。

「お前はそれで八つ裂きにされてもいいのか」と聞かれる。

「ハクはその後八つ裂きにされた」という仮説はよく聞くけどこれは早計というか読みが足りないというかナンセンスだと思う。

湯婆婆がハクを支配するために飲み込ませた虫は千尋が踏み潰したわけだしね。

 

銭婆も敵→味方に変わってる。

悪い人みたいに言われてるけど実際にはとても優しくて子供の頃見た時は安心した。

銭婆の家での楽しいひととき。

みんなで千尋のためのヘアゴムを作ってあげる。

千尋は帰りたいという。

「ハクが死ぬかも、お父さんとお母さんが食べられるかもしれない」

千尋の行動原理は説得力があるしそれが物語全体を通して一貫するのが良い。

登場人物の行動原理謎すぎる小説って大量にあるけどその違和感がまったく見当たらない作品というのも珍しい気がする。

この上手さって何したら鍛えられるんだろう?

 

「帰りたい」という千尋のもとにハクが到着。

「もう大丈夫なの?」とハクの額に千尋が自分の額を押し付ける場面、泣いてしまった。

子供の頃は「やったー!ハク元気になってよかったね!」だったのに。

もうこの場面にあるのは年齢に不相応なくらいの「愛」なんですよね。

千尋のハクに対する愛しい思いが溢れる瞬間。

子供同士の友達の感情じゃない。

なのに「リアリティがない」と感じさせないのがすごすぎる。

銭婆はカオナシに「残って」と言う。

カオナシは銭婆の家という自分の場所を見つけた。

千尋に「お父さんやお母さんはいないの?」と聞かれて答えに窮してしまったカオナシは頼れる誰かがいないこと、自分の居場所がないことをとても気にしていたんだと思う。

それをちゃんと見つけられたんだってことが子供の頃見た時も嬉しかった。

 

そして本作一番の感動場面。

千尋は川に靴を落としてそれを追い、溺れてしまった時のことを思い出す。

浅瀬に運ばれて助かったのだ。

マンションの開発で埋め立てられてしまったその川こそ、ハクの正体ではないかと見破る。

千尋琥珀川に溺れた日の話をしてハクは自分の本当の名前を思い出すことができた。

子供の頃も感動したけど大人になってから見たら号泣した。

川だったころのハクは千尋が自分の中に落ちた時、千尋を助けるために浅瀬に運んでやったのだった。

そのハクは都市開発のために埋め立てられてしまう。

川として存在していられなくなったハクは異形の世界に来て湯婆婆に支配されていた。

そこへ千尋が迷い込んできて二人は再会し、今度は千尋がハクを助けてくれたのだった。

現実とファンタジーが交差する。

そしてなんて美しい交差。

 

千尋は両親を取り返して元の現実に戻っていく。

行きて帰りし物語だ。

千尋はハクとお別れをするがハクは「またきっと会える」という。

現実に戻ってしまえば全部が夢だったみたい。

でも千尋の髪を止めるヘアゴムは銭婆たちが紡いでくれたもの。

あれがきらっと光って終わる演出、小学生の頃から大好き。

今見たらあのシーンだけで泣けそうだった。

現実とファンタジーを完全に分断しない表現が本当に好き。

 

子供の頃は「あのあと千尋とハクはどうやって再会したのだろう」ということばかり考えてた。

その当時は、湯婆婆の弟子をやめられたハクはもう一度川に生まれ変わるだろうと思った。

きっといつか千尋が山に行った時、細い流れだけどすごく綺麗な川(川の赤ちゃん)を見つけるのだ。

「綺麗!」と川の水に触れた時、千尋はいつしか忘れてしまっていたあの世界のことを思い出す。

そこで千尋がハッと「もしかしてハクなの?」って川に語りかけるところで、小学生の私版「千と千尋の神隠し」は完結する。

そんなことを考えてた。

ねえこれどっかの大人が考えた「ハクはその後湯婆婆に八つ裂きにされた」説より遥かにセンスよくない?

小学生の私に一票。

 

千と千尋の神隠し」、傑作としかいいようがない。

こういう作品書きたい切実に。

また見る。

DVD「キャッツ」を見て

劇団四季のキャッツをみたいなーと思ってたらDVDを見つけたので視聴することにした。

残念ながら劇団四季ではないけど。

しかも劇でもなくて「劇の実写化」。

ややこしいけどとにかく見る。

 

キャッツは意外と抽象的というか、観劇慣れしていない人にとっては意味がわからない話かもしれない。

こういうのはノリで楽しむものなのだ。

でもざっくりあらすじはまとめとこう。

雑に言えば「長老猫が一匹の選ばれし猫を決める話」だ。

主人公は捨て猫のヴィクトリア。

ゴミ捨て場に放り出されたヴィクトリアは「ジェリクルキャッツ」と呼ばれる個性豊かな猫たちに出会う。

ジェリクルの舞踏会なるもので長老猫(オールドデュトロノミー)が1匹の選ばれし猫を決めるらしい。

選ばれた猫は「遥かなる天上世界」に行き、新しい生をいきるために生まれ変わる。

このあたりのことを説明する猫がマンカストラップだ。

マンカストラップはヴィクトリアに個性豊かな猫たちを紹介し始める。

大きなおばさん猫のジェニエニドッツ、つっぱり猫のラム・タム・ジャガー、嫌われ者の元スターのグリザベラ、エリート猫のバストファージョーンズ、悪党猫のマキャヴィティ、その子分のマンゴジェリーとランペルティーザなどなど。

そこに長老猫のオールドデュトロノミーが到着。

ジェリクルキャッツたちはオールドデュトロノミーのために演劇を開演する。

犯罪猫のマキャヴィティが襲撃してきてついに舞踏会が始まる。

ヴィクトリアは嫌われ者のグリザベラを気にかけているがグリザベラは心を開かない。

そして新たなジェリクルキャッツが紹介される。

俳優猫のアスパラガス、鉄道猫のスキンブルシャンクス。

マキャヴィティはオールドデュトロノミーを誘拐。

魔術猫のミストフェリーズの魔術でオールドデュトロノミーを取り返す。

いよいよオールドジェトロノミーは選ばれし猫を発表する。

ジェリクルキャッツたちは我こそは…!と待ち望むところにグリザベラが現れる。

みんなが不快感を示すがオールドジェトロノミーが選んだのはグリザベラだった。

グリザベラは遥かなる天上の世界を目指して旅立つ。

 

以下DVDの感想。

初めは違和感がすごい。

人間が猫になりきってる。

しかも思ったより猫なのだ。

猫になりきることに妥協がない。

CGの技術も相まってもう猫、猫なんだけど、人間だ。

ところがシルエットがどうしても人間。

猫であって猫にあらず、人間であって人間にあらずというもの。

この違和感がとにかく気持ち悪くて(全部観られないかも…)と思った。

けど30分も見てればなんか慣れる。

大きなおばさん猫のジェニエニドッツのキャラが好き。

怠け者に見えるけどゴキブリやネズミを働かせて歌い踊る。

気に入らないやつは食べちゃう。

歌詞は猫あるあるっぽくて面白い。

ラム・タム・タガーが踊るジャズダンス好き。

こういうの見るとジャズダンス習ってよかったって思う。

全然こんなふうには踊れないけど。かっこいい。

ヴィクトリアは本当に子猫っぽくて可愛い。

歌い方もしなやかなバレエも可愛い。

スキンブルシャンクスのタップダンスいいな。

汽車の発車音をイメージしたタップの音がどんどん速くなっていくのが面白い。

タップダンス習いたくなる。

マキャヴィティはミステリアス。

マキャヴィティ♪アビリティ♪で韻踏んで歌う場面が好き。

漢詩もそうだし歌って韻が醍醐味みたいなとこあるよね。

小説でもこれ意識したら読み心地良いものが書けるんじゃないかな。

どんなふうに書けばいいか想像つかないけど。

ラップ小説?面白そう。読んでみたい。

 

ああミュージカルで見たい!と思った。

劇団四季で見たい!

金本泰潤さんのマンカストラップ見たかった〜〜〜

次こそは。

 

視聴後、図書館で池田雅之「猫たちの舞踏会 エリオットとミュージカル「キャッツ」」を借りて読んだけれど良書だった。

キャッツを観たけどよくわからない人、キャッツの知識なしでキャッツを観ようとしている人に勧めたい。

あとエリオットに興味がわいたので「荒地」も読んでみた。

作者の人生がわかると作品にも深みが増す、というか受け取れるものが増えるなと感じる。

「四つの四重奏」も借りたので読むの楽しみ。

キャッツ再演あったら絶対行く!!

アニメ「パプリカ」を見て

原作は筒井康隆の小説「パプリカ」。

SFあんまり読まないけど好き。

先に乾緑郎「完全なる首長竜の日」を読んでデビュー作でこのクオリティはすごいなと思ってたんだけど、たぶんパプリカの影響を受けて書いたんだろうなって後で思った。

どっちもいい作品です。

そういえば筒井康隆さんといえば職場の先輩に勧められた「マグマグ星人」もよかった。

いろいろ書けてすごい。

 

アニメ見てて思い出したけど筒井康隆「パプリカ」を読んだ時、私もパプリカみたいな仕事をする夢を見た。

つまり他人の夢に侵入して悪いことしてる人を追う夢。

今までに見たこともない独特な世界観の夢に侵入したんだけど、アニメ「パプリカ」の感じそっくりだった。

原作もアニメ制作スタッフも私の想像力もすごくない?

 

遠回りした。あらすじに入ろう。

夢と現実が交差する話。
嫌いなわけない。
他人と夢を共有できるデバイスDCミニが開発された世界が舞台と なる。
DCミニを活用し他人の夢に侵入する夢探偵が主人公パプリカ( 千葉敦子)だ。
他人の夢に侵入するパプリカの目的は対象者の精神病を治療すること。
DCミニを開発したのは天才発明家の時田( ものすごく太っている)。
パプリカは表向き精神科医として病院に勤務しており、時田は同僚。
ある日、DCミニが何者かに盗まれ、院長が夢に侵入され錯乱、 病院の窓を突き破って飛び降りてしまう。(なんとか助かる)
パプリカは時田の助手であった氷室が犯人であると予想をたてるが 、真犯人は病院の副理事。
パプリカと時田がDCミニのことでノーベル賞を受賞することを妨 害したかったらしい。
やがて夢の世界は現実と融合し、副理事は世界をものにしようとする。
パプリカは自分が診ている患者の刑事とも協力し、 副理事を食い止めにいく!

私結構この刑事が好き。

学生時代は親友と二人で映画監督を目指していて親友が犯人役、刑事が刑事役で追いかけっこする映画を撮ってた。

親友は死んでしまって刑事さんは映画監督を目指すのを辞めて本当に刑事になる。

ここの話すごく好き。

映画の内容が「かつて親友だった二人が追いかける側と追いかけられる側になってひたすら鬼ごっこするだけ」なのもいい。

そこに二人の回想が入り混じるんだけど、現実に夢が溶け込んでくる「パプリカ」本編の構成と表現が似ているのがとてもお洒落。

こういうセンス良い表現大好き。
「夢」 というなんでもありな舞台を有効活用した独特の世界観が魅力的な 作品なのでアニメとの相性がいい。
そしてこの話の意外な結末は、パプリカが時田と結婚することだ。
原作を読んだ時にびっくりした。
どうしてパプリカには時田だったのだろう、 という説明が足りないので唐突に感じる。
布石はあるし「人は見た目じゃない」理屈もわかるけど、そもそも「才色兼備の女性が容姿の優れない男性を恋愛対象として見る」 ことが男性特有の幻想であるように感じた。
それが悪いとかこの作品の欠陥とかそういうことを思ったのではなく、「原作者が女性だったら時田は一生ただの同僚だっただろうな」 と思った。
「男性は~」とか「女性は~」 とか考えたくないけど小説を読んでいると結構こういうことを思っ てしまう。
私の視野が狭いのかもしれない。
私の読み方ちょっと嫌だな変えたいなと思いつつ、「でもやっぱり男女の認識差って小説に出るよね!?」 と思う自分も無視できない。
こういう独特の世界を描けるようになりたい。好きな作品だった。