言わずと知れたファンタジーの傑作。
正座して鑑賞しなければならない。
初見の時、私は数ヶ月後に転校を控えた小学生だった。
千尋が前の小学校で送別会的なのをやってもらったらしくメッセージカードと花束をもらって新居に向かう途中、というところから物語が始まるので、これは私の物語だと思って観た思い出がある。
私も千尋と同じようにメッセージカードとかお花もらって同じクラスの女の子たちにめっちゃ泣かれたから「なんか私死ぬみたいだな」って思ってた。
それだけに神様の世界に行く千尋に深く自己投影できたんだと思う。
ちなみに私、環境への適応力だけは自信ある。
転校した先では同級生にも上級生にもちやほやしてもらい進級するまで「転校生」をエンジョイさせてもらった。今更ながら感謝。
お父さんとお母さんが食べる中華っぽい料理は今見ると美味しそうだし店員さんいなくても「あとでお金払えばいっか!」で食べちゃう気持ちもちょっとわかってしまう。
けど子供の頃は「絶対ありえない!私は一口も食べないからね!絶対!犯罪だよ!!!!」と思ってたから私はもう千尋ではないんだな…と寂しくなった。
新居に向かう途中、千尋が迷いこんでしまったのは異形の世界。
神様が訪れるお湯屋で働くことになる千尋は異形の者たちから「人間だから」と邪険に扱われるが同年代らしき少年ハクだけは味方してくれる。
初めは釜じいにもリンにも歓迎されなかった千尋だが、湯婆婆に見事契約を取り付けた千尋は少しずつ認められ始める。
なんでも都合よく展開しがちな物語が世にあふれている中、本作は主人公に対しての試練が多い。
この甘やかしのなさが物語を面白くしてるなと思う。
急に冷たくなったと思ったハクが優しい人に戻っておにぎりくれるシーンいつ見ても泣けてしまう。
(他の従業員向きに千尋に優しくするわけにいかなかったのかな、みたいな事情は小学生の頃にも考慮できた)
久石譲の楽曲よすぎるのもあって試練続きで不安だった千尋に感情移入しやすい。
よかったハクが良い人で。安心する。
お湯屋で働き始めた千尋は雨の日にカオナシを招き入れてしまう。
その日、千尋は初仕事として「くされ神」を湯に案内する。
ところが「くされ神」だと思ったこのお客さん、実は人間によって汚された川の神様だった。
千尋は川の神様からお礼に苦団子をもらう。
「魔女の宅急便」にもいたけど、女の子の主人公を助けてくれる年上の女の子っていいよね。
本作でそれを担うのがリン。
「頼りになるちょっと年上のお姉さんが近くにいてほしい」10代女子の気持ちをなぜ宮崎駿監督が理解できるのか謎。
カオナシがお湯屋を乗っ取り出す。
千尋は式神に追われる龍(正体はハク)を見つけて助ける。
しかしハクは湯婆婆のもとへ。
ハクが殺されてしまう!と思った千尋は湯婆婆のもとへ急ぐ。
千尋の背中には式神が一枚貼り付く。
湯婆婆のもとに行く途中、千尋はカオナシに遭遇、千尋に金の受け取りを拒否されたカオナシは従業員を2人飲み込んでしまう。
このあたりは展開が怒涛。入り組む。
突然龍の姿で登場したハク。
金を出すことで従業員にありがたがられていたカオナシは突然従業員を飲み込んで「ありがたいお客さん」から「恐怖の対象」に変わる。
湯婆婆は「ハクはもう使い物にならない」と処分しようとする。
(坊の部屋、好き。電気が消えると天井が夜モードになるのがいい。)
おまけに式神からは湯婆婆の双子の姉(銭婆)が登場し、坊をネズミに、カラスをハエに変えてしまう。
ハクが式神を破る。
その拍子に穴に落ちてしまう。
ここから坊とカラスは千尋とともに行動するように。
ここまで怒涛だけど視聴者を置き去りにしない。
すごいな。
「敵だった登場人物が味方になる展開」はエンタメの王道だけど、「千と千尋の神隠し」はこれが特に多い。
カオナシ、銭婆、坊(とカラス)がそれ。
カオナシは味方→敵→味方。
銭婆は敵(ハクを襲う式神)→味方
坊とカラスは敵→味方。
ハクに乗って飛びながら千尋は水中の幻想を見る。(この伏線は何度か小出しにする。上手い)
釜じいのもとに落ちた千尋は川の神様からもらった苦団子を半分にしてハクに飲み込ませる。
ハクは少年の姿に戻った。
千尋はハクが盗んだという印鑑を銭婆に返すことになる。
ところがカオナシが暴れていると知って千尋は旅に出る前にカオナシの対処へ向かう。
カオナシは味方になったと思ったら敵になりまた味方に戻る。
複雑に変わる関係性が面白い。
千尋はカオナシを伴って銭婆のもとへ向かう。
ここからの展開、子供の頃から大好きなんだけど大人になっても大好きだった。
電車に乗っているのはみんな半透明の人型シルエット。
普通の電車ではない表現にわくわくする。
宮沢賢治「銀河鉄道の夜」みたいなね。
でもすごく現実の電車らしい雰囲気。
現実と幻想性が重なったようなこの感じ大好きで自分でもよく描くんだけどジブリの影響だったのかな。
幼い頃から何度もみてるから無意識に刷り込まれてたのかも。
一方お湯屋ではハクが目覚める。
ハクは「坊が銭婆のもとへ向かった」と湯婆婆に告げ、「連れ戻す代わりに千尋の両親を助けてほしい」と言う。
「お前はそれで八つ裂きにされてもいいのか」と聞かれる。
「ハクはその後八つ裂きにされた」という仮説はよく聞くけどこれは早計というか読みが足りないというかナンセンスだと思う。
湯婆婆がハクを支配するために飲み込ませた虫は千尋が踏み潰したわけだしね。
銭婆も敵→味方に変わってる。
悪い人みたいに言われてるけど実際にはとても優しくて子供の頃見た時は安心した。
銭婆の家での楽しいひととき。
みんなで千尋のためのヘアゴムを作ってあげる。
千尋は帰りたいという。
「ハクが死ぬかも、お父さんとお母さんが食べられるかもしれない」
千尋の行動原理は説得力があるしそれが物語全体を通して一貫するのが良い。
登場人物の行動原理謎すぎる小説って大量にあるけどその違和感がまったく見当たらない作品というのも珍しい気がする。
この上手さって何したら鍛えられるんだろう?
「帰りたい」という千尋のもとにハクが到着。
「もう大丈夫なの?」とハクの額に千尋が自分の額を押し付ける場面、泣いてしまった。
子供の頃は「やったー!ハク元気になってよかったね!」だったのに。
もうこの場面にあるのは年齢に不相応なくらいの「愛」なんですよね。
千尋のハクに対する愛しい思いが溢れる瞬間。
子供同士の友達の感情じゃない。
なのに「リアリティがない」と感じさせないのがすごすぎる。
銭婆はカオナシに「残って」と言う。
カオナシは銭婆の家という自分の場所を見つけた。
千尋に「お父さんやお母さんはいないの?」と聞かれて答えに窮してしまったカオナシは頼れる誰かがいないこと、自分の居場所がないことをとても気にしていたんだと思う。
それをちゃんと見つけられたんだってことが子供の頃見た時も嬉しかった。
そして本作一番の感動場面。
千尋は川に靴を落としてそれを追い、溺れてしまった時のことを思い出す。
浅瀬に運ばれて助かったのだ。
マンションの開発で埋め立てられてしまったその川こそ、ハクの正体ではないかと見破る。
千尋が琥珀川に溺れた日の話をしてハクは自分の本当の名前を思い出すことができた。
子供の頃も感動したけど大人になってから見たら号泣した。
川だったころのハクは千尋が自分の中に落ちた時、千尋を助けるために浅瀬に運んでやったのだった。
そのハクは都市開発のために埋め立てられてしまう。
川として存在していられなくなったハクは異形の世界に来て湯婆婆に支配されていた。
そこへ千尋が迷い込んできて二人は再会し、今度は千尋がハクを助けてくれたのだった。
現実とファンタジーが交差する。
そしてなんて美しい交差。
千尋は両親を取り返して元の現実に戻っていく。
行きて帰りし物語だ。
千尋はハクとお別れをするがハクは「またきっと会える」という。
現実に戻ってしまえば全部が夢だったみたい。
でも千尋の髪を止めるヘアゴムは銭婆たちが紡いでくれたもの。
あれがきらっと光って終わる演出、小学生の頃から大好き。
今見たらあのシーンだけで泣けそうだった。
現実とファンタジーを完全に分断しない表現が本当に好き。
子供の頃は「あのあと千尋とハクはどうやって再会したのだろう」ということばかり考えてた。
その当時は、湯婆婆の弟子をやめられたハクはもう一度川に生まれ変わるだろうと思った。
きっといつか千尋が山に行った時、細い流れだけどすごく綺麗な川(川の赤ちゃん)を見つけるのだ。
「綺麗!」と川の水に触れた時、千尋はいつしか忘れてしまっていたあの世界のことを思い出す。
そこで千尋がハッと「もしかしてハクなの?」って川に語りかけるところで、小学生の私版「千と千尋の神隠し」は完結する。
そんなことを考えてた。
ねえこれどっかの大人が考えた「ハクはその後湯婆婆に八つ裂きにされた」説より遥かにセンスよくない?
小学生の私に一票。
「千と千尋の神隠し」、傑作としかいいようがない。
こういう作品書きたい切実に。
また見る。